Vol.50

Keio-Formula.Com News Mail Team

今回は50号記念として、過去のリーダーからのメッセージを紹介します。

特別企画 [Previous Leaders' Comments]

KF-02(第2回大会車両)およびKF-03(第3会大会車両)プロジェクトのリーダーを務めました中村翼と申します。
現在は大学院修士課程2年として流体の研究に励んでおります。私がフォーミュラ活動を振り返って感じることは「とにかく色々なことを勉強させてもらった なぁ」という実感です。
車両設計の基礎をはじめ、図面の書き方、旋盤・溶接機の使い方、さらにコストの考え方や日程管理など書き切れないほどありますが、すべてが今の自分の糧に なっていると感じています。中でも特に心に残っている3つのことを時系列に振り返ってみたいと思います。
「第2回大会での完走」―私は1年生の秋にリーダーになりましたが、4年生の引退などにより当時メンバーが5人のみという非常に心細い状況からのスタート でした。
各人が数個所の設計を担当しながら運営の仕事も担当するという多忙な日々でしたが、少ないゆえにメンバーの結束は固く、また第1回大会でのリタイ アを目の当たりにして、絶対完走するぞという目標に向かって夢中で取り組んでいたように思います。
そして大会での最終競技、耐久走行。トップ校の133%のタイムを超えると失格というルールの中、時間内ギリギリで完走を果たし、大変感動したことを覚えています。決して良い成績ではなかったものの、自分達の 手で作り上げた車両がなんとか最後まで走ってくれた喜びは決して忘れられません。
「アメリカ大会出場を断念」―第1回大会開催の2003年に入部した私は、最終学年の4年生の時にアメリカ大会へ出場することを目標としていました。 リーダーになってからもずっと行くと言い続け、資金獲得のために理工学部長に直訴に行ったり、OBの方のご協力で某大手企業の会長にプレゼンに行くなど、今考 えれば怖いもの知らずの行動をしていました。
しかし2年生の秋に本当に行くかどうかをメンバー全員で話し合ったところ、資金面がどうしても解決できず断念せざるを得ませんでした。大学生活をかけた夢でありショックは隠しきれないものでありましたが、そこで腐らずにリーダーを続けることができたのは、話し合 いの中でメンバーから大切なことを教えてもらったからだと思います。どんなに大きな目標も一つ一つ地道に解決していく必要があり、後輩が活動を続けていく 素地を作ることが後の成功につながると。チーム発足から6年、まだまだアメリカ大会への道は長いですが、いつかきっと後輩が実現してくれることを切に願っ ています。
「第3回大会でのレギュレーション違反」―現役最後の大会である第3回大会。皆の努力により車両のレベルは前年より飛躍的に上がっていたものの、私は最終 責任者としてしてはいけないことをしてしまいました。
大会直前にレギュレーション違反をしている箇所に気付きながらも、打つすべがないという理由でそのまま行くことを了承してしまったのです。案の定大会の車検で指摘され、改造により性能を大幅にロスする形となりました。その時ファカルティアドバイザーの飯 田先生から、少しでも上位にいきたいという私達の心情を察していただきながらも、「競技において安全と公平性は遵守しなければいけない」ということを厳し くご指導いただきました。
昨今のニュースではトップの指示による信じられない不祥事が相次いでいますが、それらを見る度に自分のしたことの愚かさを反省 し、心を改める日々です。今回あえてこの「不祥事」を記載した理由として、後輩にルールの意味を考え、絶対に繰り返してほしくないこと、そして自分自身、 社会に出る前に身を持って痛感したことに救われた思いを感じているからです。これから社会へと旅立とうとする身ですが、この経験を絶対に忘れずにいようと 思います。
長々と書いてしまいましたが、このように本活動を通じて得たことは私にとって非常に貴重な経験だったと思います。私共に色々な経験をさせてくださった大会 関係者の方々、スポンサーの皆様、そして自動車工学研究会というサークルを作り、今日まで繁栄させてきてくださったOBの方々、飯田先生、そしてこれまで とこれからのメンバー達に感謝の意を述べさせていただきたいと思います。皆様本当にありがとうございました。
最後にメンバーへのエールです。これまで5年間で出会ったメンバーを見ていると、自分のポジションを見つけて精一杯取り組んだ人は必ず自分に誇れるものを 身につけていっていると思います。たとえ間違っていたとしても全力でぶつかることで、悔いのない学生生活が送れると思います。ぜひ逆境や困難に負けず頑 張ってください!私の好きな言葉を贈り、終わりの言葉と代えさせていただきます。

"過去と他人は変えられないが未来と自分は変えられる"

(中村)



KF-04プロジェクトリーダーを務めました鈴木恭平です。
現在は大学院修士課程1年生として数値流体力学に関する研究に取り組んでいます。
自工研で過ごした時間を振り返ってみると、自分にとって本当に大切で貴重な時間だったと感じます。
私は大学1年生のとき、どんなサークルに入ろうか迷っていました。 大学生らしいこと、大学生だからできることがしたい、そんな気持ちでいろんなサークルを彷徨ってました。 そんな中、私は偶然矢上祭に行き自工研に出会いました。
自分たちでマシンを一から作る、チームをまとめる、資金をやりくりする。。。
ガレージでこの活動の魅力、楽しさをお酒を片手に語っていただき、自分がやりたかったことだ!っと感じこの活動に参加する決意をしました。 KF-04プロジェクトを立ち上げるとき、プロジェクトリーダーを決めることになりました。
私自身、これといって今までリーダーシップをとって何かに取り組んだことはありませんでした。 いろいろなことに挑戦してみたい、経験したいという安直な気持ちで私はKF-04プロジェクトのリーダーをやることを決めました。
実際プロジェクトが走り出すと、リーダーシップをとって会議をまとめる、マシンを作る、計画を立てるなど。。。 正直、自分が考えているようにはまったく上手くいきませんでした。
自分の意見を人に伝える難しさ、常に問題意識を持ち続けること、チームのモチベーションを維持すること、 活動を記録すること。。。いろいろな問題が山積みで根本的な解決方法もなかなか見つからず一年間走り抜けました。
大会では排気騒音のレギュレーションをパスするのに苦労し、動的競技においては満足に参加することさえも出来ませんでした。 レギュレーションを通過出来ず動的競技の参加登録時間が経過したとき、大会会場で目から涙が溢れました。 自分の甘さ、この活動に対する姿勢、一年間のいろいろなことが頭を巡り、メンバーに申し訳ない気持ちで胸が一杯になりました。 今もこの気持ちは忘れません。
今この原稿を書いていると、あのときから自分はどれだけ成長しているのだろうかと考えさせられます。 チームメンバーと駆け抜けた時間は楽しく、振り返ると目頭が熱くなります。 自分たちの活動を支援してくださった企業やOB、先生たちには本当に感謝しています。
今も溶接棒片手にマシンを作っている現役メンバーにエールを送ります。
出会いを大切にし、周囲の人に常に感謝の気持ちを忘れず、また発展途上の自分に自信を持って日々を過ごしてください。 最近いつも自分に言い聞かせてます。 一心不乱になってマシン作りに精を出していると思うので、なかなか周りに目がいかないこともあると思います。
そんな中、少し違ったところから自分を見つめて、どうして自分がこの活動をやっているのだろうか、誰のおかげでこのマシンが組み上がっているのか。 ということを少しでも考えると今以上に充実した自工研活動を過ごせると思います。頑張ってください。たまにはガレージに応援しにいきます。 長々と書かせていただきましたが、この場をお借りしてお礼いたします。
自工研を支援して下さっている皆様、先生、卒業していったメンバーのみんな。ありがとうございました
今後は彼等を教育し、次の代へと持てるものを引き継いでいきたいと思います。暗雲が立ち込めていたKF-06プロジェクトですが、新入生が入ったことによ り気持ちが幾分立て直されました。また、新入生にマシンが走っている姿を早く見せていきたいと決意を新たにしています。

(鈴木)



KF-05(第5回大会車両)のプロジェクトのリーダーを務めました山田泰之と申します。現在は大学 4年として機械工学科森田研究で機構の制振制御の研究に励む毎日です。
私は現在も、活動を続けさせていただいております。そのため、このような回想記を書くのはなんとも恥ずかしいので、思いで話しは又の機会として、後輩達 がより自工研での日々を有意義に過ごせたらと思い、私がこの活動で得たことについて書かせていただくことにします。
・大学生活の充実?
私は大学一年の前半は、テニスサークルに所属し、飲んで遊んでの日々を過ごしておりました。しかし、半年が過ぎるころから、「自分は何のために大学に来た のか?毎日酒を飲むためか?遊ぶためか?」そう自問自答する日々が続きました。そんなとき、ふと手に取ったオリエンの冊子に、中村先輩が書いた自工研の紹介 文がありました。私はその熱意に惹かれ、入部を決意しました。
自工研のメンバーはとても車について知識があり、何より熱意が尋常では有りませんでした。同年代で自分より車に詳しい人間に囲まれたこたが無かったこの で、刺激的な毎日を過ごすことが出来ました。そんな、活動から私が得たこと、気付かされたことは書き切れません。人間として、エンジニアとして大きく成長 することができました。こんな経験ができるのは正に自工研だけだと思います。
・人の上に立つ事の意味
入部して半年後、自分達2年生が中心となるKF-05プロジェクトが発足しました。
私は、自分の力で優勝したいと、しゃかりきになりリーダーを買って出ました。いざ実際にリーダーを始めると、現実はそれほど甘くなく、たかが20人弱のメ ンバーを動かすにも沢山の苦労がありました。
自分は、メンバーに厳しく注意したり、行動を正させる権利はあるのか、自分の意見は、自分はそんなに正しいの か 自問自答し そして、同時に、なぜメンバーは自分の思いを汲み取ってくれないのか、悲しさにくれる時もありました。
しかし、その苦労のなかで学んだこ ともあります。それは、様々な人間がいる、全員違うから難しくもあり面白く、そして組織が強くなるのだということです。全員同じなんて面白くもないし、 チームでやっている意味がない、皆を同じ用に扱うのではなく、人それぞれの違いを生かすことこそがリーダーの仕事であり、それにつきると思いました。
・エンジニアとしての自覚
大学四年間、レースカーの設計・開発・製作・整備を運営など全て自分の手で行うという経験、様々なトップエンジニアと接するという経験はエンジニアとして の自分を飛躍的に進歩させました。
中でも、現在の自動車やバイクの機械部品などの開発でも、いまだに理論と現実との間に大きな差があることを実感できたこ とが大きいと思います。
大学では、主に学術性を重視します。そのため、全ての物事は理論的に把握し、合理性さえあれば解決できると錯覚してしまいかねませ ん。しかし、自工研でのエンジニアリングではそうは行きません。理論的考察も必要ですが、実際に出来るかどうか、やってみることが一番大切でした。また、合理性 があっても、実現するには様々な現実的な問題がありました。“速い車”を妄想するのは簡単です。しかし、それを現実にすることが難しいし、それこそがエン ジニアの仕事であると私は実感しました。

最後に現役の皆さんへ、現役で活動している間はあまり実感が無いかもしれませんが、2年、3年後にふと振り返ると、自工研に全てを投げ打って、打ち込こむ ことで、エンジニアとして、人間として飛躍的に成長できると思います。
それは、卒業していった先輩方を見れば疑いようが有りません。現役の皆さん、KF-05でなしえなかった、全競技での得点を成功させて、更なる飛躍をしましょう。
最後にこの場をおかりして御礼を致します。
自工研の活動を支えて下さっている皆様、先生、有難う御座いました。そして、これらかも自工研を宜しくお願いします。 最後に中村先輩のパクリになりますが、 私の好きなことばで終わりの言葉させていただきます。
何かにつけて出来ないという奴は、出来る機会があってもやらない、全て出来ると思え、 世の中の大概のことは気合と根性でなんとかなる。

(山田)

編集後記

ニュースメール編集担当者の門岡です。新年度にも慣れ、活動と勉学に励んでいる次第でございます。
さて、私も大学のある日吉への通学が6年になります。最近、慶應義塾大学の最寄り駅である日吉駅が便利になってきました。横浜市営地下鉄のグリーンライン が開通し ました。また、今月末には東急目黒線も乗り入れを開始し、益々便利になるようです。これで日吉~三田まで直通になります。
諸事情により、免許を失った私としては、思っても無いことです。東急東横線、グリーンラインに加え目黒線が延長することにより行動範囲の拡大と時間短縮が 望めます。
日吉の発展を祈りつつ、今後の学生生活を過ごして生きたいと思います。

新入生も自工研に慣れて来たようで、安心しております。新入生の力を借りつつ、いち早くマシンの完成を目指しております。今後も暖かいご支援の程よろしく お願いします。

(門岡)



News Mail 2008年 5月号を最後までご覧いただき、ありがとうございました!

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